稀勢の里が、大関になってから31場所をかけてついに横綱昇進を果たしました。新十両、新入幕では史上2番目の若さでの昇進でしたが、大関になってから横綱昇進までは、史上3番目の遅さでした。日本人力士の中では圧倒的に強いと言われていた稀勢の里が、昨年3度も綱取りに失敗した裏には、「親方」が深く関係しているといいます。
稀勢の里が慕った 先代・鳴戸親方(元横綱・隆の里)
稀勢の里が鳴戸部屋に入門したのは、中学卒業後、15歳の時です。
「相撲1本でいこう」と心に決め、稽古が1番厳しいとされていた鳴戸部屋に入門しました。
鳴戸親方からは、「稽古は嘘をつかない。努力は嘘をつかない。」と言われ続け、涙を流すほど厳しい稽古を毎日続けました。
稀勢の里の素朴だけれど真の強いまじめな性格がうかがえますね。
鳴戸親方は力士の指導に大変熱心。
しかも世話好きで、力士の健康を気づかい自らちゃんこを作ってくれるような親方だったそうです。
稀勢の里はこの鳴戸親方を心底信頼していたといいます。
しかし、鳴戸親方は2011年11月に急死。
部屋は、隆の鶴が継承しました。
現親方 田子ノ浦親方との確執
鳴戸親方急死後、鳴戸部屋は元関脇・若の里が継承するかと思われましたが、元前頭・隆の鶴(現田子ノ浦親方)が跡を継ぎました。
隆の鶴は、気がすすまなかったようですが、女将の意向もあって鳴戸部屋を継ぐことになりました。
しかしその後、隆の鶴は女将と決別。
空いていた田子ノ浦の年寄株を買い、田子ノ浦部屋の親方となりました。
田子ノ浦親方は、「なりたくない」と言っているところを説き伏せられて親方になった経緯があります。
やる気も指導力もないとの声もあがっているようです。
弟子たちが稽古をしている最中も、雑誌をながめていて、指導に全く熱が入らない・・・
稀勢の里をはじめ、弟子たちからの信頼は乏しいようです。
稀勢の里と田子ノ浦親方がほとんど口をきかない間柄というのは、角界では有名な話なんだそうです。
こんな状態では、やる気も出ず稽古に身が入らないのは当然です。
実際に、大相撲の解説をしていた舞の海さんが
「(横綱になれた)日馬富士と稀勢の里との差は、師匠の差」とまで言っています。
尊敬していた先代の鳴戸親方が亡くなったが、現親方を頼ることはできず、稀勢の里は悲しみと孤独でいっぱいだったに違いありません。
他の師匠に代えては?
と、思いましたが、相撲界で弟子が師匠を選び治すことはできないのだそうです。
それでも、その辛さを乗り越え今回の初場所で白鵬を破り、横綱昇進を果たした稀勢の里。
優勝の際のインタビューでは、
「腐らずにやってきてよかった」
「一生懸命、自分の相撲を信じ、強くなりたい」
「(白鵬に勝ったとき)誰かに支えられているような気がした」
と語っています。
「誰かに支えられているような・・・」というのは、先代の鳴戸親方にということでしょうか。
他の言葉も、稀勢の里の親方について知ってから聞くと深いなと感じますね。
終わりに
稀勢の里は、優勝パレードから田子ノ浦部屋に戻ってくるなり、座敷に置いてある先代の鳴戸親方の遺影の前に座り、優勝の報告をしたといいます。
一方で、インタビューをされても現親方の田子ノ浦親方への感謝の言葉は一切出てこない・・・
稀勢の里を支え、優勝にそして横綱昇進に導いたのは、先代の鳴戸親方との深い絆だったのだと思いました。